教室の風景|2026年2月21日
―「とどちゃんヘルプ」が生まれた理由と、子どものいいところをぴかぴかに磨く視点―
いつもありがとうございます。
こどもプログラミング教室 すまいる・キッズの西尾です。
前回のブログでは、「手を払う子」と「ヘルプを言える子」の話を書きました。
今回はその続きとして、ぼく自身の実話を書いてみます。
社会人になっても、頼り方が分かりませんでした
実はぼくは、社会人になっても長いあいだ、頼り方や任せ方がとても苦手でした。
困っていても、基本は一人で抱えて頑張っていました。
改めて今振り返ると、その生きづらさの正体は、こだわりの強さと、繊細さだったのだと思います。
「何があっても大丈夫なように」
そう思えば思うほど、重箱の隅のような細かいことまで気になりすぎてしまいます。
周りの人から見れば、「そんなところまで気にしなくてもいいのに」という部分まで気になってしまい、結果として自分が疲れていました。
任せられない、聞けない、考えすぎる
当時のぼくは、こういう状態でした。
- 人に任せられない
- うまく聞けない(聞き方が分からない)
- 細かなことが気になりすぎて、あれこれ考えすぎる
そして、どうしても何かを聞かなければならないときには、なぜか自分を落としめるように、過剰にへりくだって聞いてしまうこともありました。
本当は普通に聞けばいいだけなのに、
「迷惑をかけてはいけない」
「こんなことも分からないと思われたくない」
そんな気持ちが混ざってしまって、余計にぎこちなくなっていたのだと思います。
学生時代から、コミュニケーションは得意ではありませんでした
思い返せば、学生の頃からぼくは、コミュニケーションが得意なタイプではありませんでした。
人間関係の中で、なんだかイライラしたり、うまくいかないなぁと思うことも多かったです。
そして会社員になってからも、頑固に自分で考えて、自分で試みて、協力してもらうことを上手にできませんでした。
人に頼ることが苦手なまま、大人になってしまった感じです。
それでも、仕事では「得意な形」がありました
ただ、そんなぼくでも、仕事の中で力を発揮できる場面がありました。
それは、自分の理解できる範囲で、創意工夫をして、集中して磨き込むことです。
システム開発の仕事でいうなら、ぼくは明らかにスペシャリストタイプでした。
自分の手の届く範囲を、ぴかぴかに磨いて品質を上げていく。
仕組みを理解し、工夫し、改善し、納得いくまで詰める。
そういう仕事は、集中して取り組めました。
そして30代も過ぎた頃に、ようやく「自分はスペシャリストが合っている」と理解できてから、仕事は少し楽になりました。
外資系で担当した“聞ける人がいないプロダクト”
30歳になる少し前、ぼくは外資系の会社に入りました。
入社して間もなく、リストラの影響で社内の人がどんどん減っていきました。
同じ職種の先輩が次々に転職され、周りに聞ける人も少なくなり、
さらに、日本国内にも詳しい人がほとんどいないプロダクトも担当することになりました。
正直、最初は不安もありました。
英語が得意というわけでもありません。
それでも、世界で見れば数千人規模の会社です。
社内の情報Webサイトにはドキュメントとして残っていました。メールやメッセージで海外へ問い合わせもしました。ぼくは、得意ではない英語を翻訳ソフトも使いながら必死に読みました。
分からないところは何度も読み直して、必要なら関連資料まで追いかけました。
そして、製品を自分でインストールして試して、また調べて、また試して……を繰り返しました。
そうやって少しずつ理解を積み重ねながら、社内外から来るいろいろな問い合わせに対応していきました。
今振り返ると、あの時の経験は、ぼくの「スペシャリスト適性」をはっきり教えてくれた出来事だったと思います。
人に頼ることが得意ではなくても、情報を集めて整理し、自分の手で試して確かめ、答えを作っていく。
そのスタイルなら、ぼくは集中できましたし、力を発揮できました。
「自分の手の届く範囲をぴかぴかに磨く」――この感覚は、あの頃に育った気がします。
そして今、その感覚は形を変えて、教室での毎日に生きています。
ぼくは、システムや製品ではなく、それぞれの子どもが持っている「いいところ」を見つけて、ぴかぴかに磨いていく。
そんな“子どもの強みを磨くスペシャリスト”を目指して、日々、精進を重ねています。
だから、知らず知らず「一人で完結しやすい仕事」を選んでいました
30歳を過ぎて転職してからは特に、気づけば「一人で完結することの多い仕事」を、知らず知らず選ぶようになっていました。
それは逃げたかったというより、自分の特性に合う場所で力を発揮したかったからなのだと思います。
若い頃は「回収できるサイズ」だったから回せていました
20代の頃、開発チームでチームリーダーの立ち位置をしていた時期があります。
その頃は、メンバーが多少投げてきても、自分で回収できると思えていました。
というのも、組織(チーム)のサイズが、まだ自分の手の届く範囲だったからです。
だからその頃は、自信をもって仕事ができていたのだと思います。
でも、役職が上がるほど「苦手な役割」が増えていきました
年齢が上がると、自然と役職の話が来るようになります。
部門長にならないか、と打診が来ることもありました。
プロジェクトマネージャーの役割を任せたい、と言われることもありました。
けれど、ぼくはこの二つが本当に苦手でした。
- システム開発全体を指揮する「プロジェクトマネージャー」
- 組織をまとめる「部門長」
求められるのは、技術力だけではありません。
人を動かすこと、調整すること、任せること、信じて待つこと。
そして、いろいろな人の気持ちの中に入っていくこと。
当時のぼくにとって、そこはとても難しい世界でした。
だからぼくは、その二つの役割については、上手に断っていました。
そして「自分の道は自分で選ぶ」と決めて、できるだけそちらの方向に行かないようにしていました。
今の教室で思うこと
こういう経験があったからこそ、今、教室の子どもたちを見ていると、「手を払う子」も「ヘルプを言える子」も、どちらも本当に大切だと感じます。
自分で突破しようとする力は、将来の武器になります。
一方で、上手に頼る力、上手に任せる力も、社会で生きるために必要になります。
そして「頼る」「助けてと言う」ことは、簡単そうに見えて、実は大人でも難しいのです。
ぼく自身がそうでした。
だから教室では、困ったときに言いやすいように、空気づくりを大切にしています。
困ってからではなく、レッスンの最初に、合言葉の練習をします。
「困ったときは何て言えばいいですか?」
「とどちゃんヘルプです」
一度声に出しておくと、本当に困ったときに言いやすくなります。
助けてもらうことが特別じゃない、恥ずかしいことじゃない、という空気ができてくるのだと思います。
次回予告
次回は、教室で出会った 「最後まで頑張り続ける男の子」 の話を書いてみます。
うまくいかなくても、すぐに投げ出さずに向き合い続ける姿から、ぼく自身が学ばせてもらったことがあります。
今日も最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
こどもプログラミング教室 すまいる・キッズ
代表・メインインストラクター
一般社団法人 日本褒め言葉カード協会
藤井寺支部長
褒め言葉トランプマスターインストラクター
西尾茂和(とどちゃん)です。

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